〈うなぎドン〉

 うなぎドンは中野ブロードウェーに住むウナギの怪獣だ。
 中野ブロードウェーはショッピングモールで一階から四階まである。地下も一階まである。
 うなぎドン父は一階を寝床にしている。うなぎドン母は二階を寝床にしている。うなぎドン長女は三階を、うなぎドン次男は四階を寝床にしている。うなぎドン長男はウ○ト○マンに倒されたので今はいない。
 
「うなぎドンはうなぎなだけにぬめぬめしているんだ。だからうなぎドンがいると中野ブロードウェーの床はつるつるして歩行者はよく足を滑らせて転ぶんだ。大体そんなにばかでかいうなぎの怪獣が通路に寝そべっていたら商売はあがったりだ。湿度は上がるし、臭いし、体に水をかけてくれとか言ってくるし、背中がかゆいから掻いてくれとかも言ってくるんだ」
 と、僕の目の前の男が言った。この男のみなりは汚く、少なくとも一ヶ月くらいは風呂に入っていないように思えた。
 はあ、と僕は言ってから手に持ったソフトクリームを舐め続けた。そのソフトクリームは中野ブロードウェーの地下にある有名なアイス屋のソフトクリームだった。その日は真夏のもの凄く暑い日で僕は買い物で疲れたので地下のこのアイス屋で一休みしていたのだ。男はそんな僕に突然話しかけてきて、うなぎドンとかいうわけのわからない怪獣の話を始めたのだ。
「うなぎドンは近い内にまた子供を産みます。その子はどこを寝床にすると思いますか?」
 男は言った。僕は、少し考えてから、ここ? と下を指さした。男の話によれば中野ブロードウェーであとあいているのは地下一階だけだ。
「そうです。そして、うなぎドンは臭いんですよ。あなた、うなぎドンの体臭のなかでソフトクリーム食べたいですか?」
 男は言った。僕は首を振った。
「そうでしょう。私もそんなのは嫌です。でも、うなぎドンの子供は近い内に必ずここを寝床にします。それでですね、私はここのソフトクリームが大好物なんですが、運が悪いことに、本当に運が悪いことにいまは手持ちがないんですよ。だからあなたが食べているソフトクリームが食べられない。もうじきここがうなぎドンの寝床になるっていうのに食べられないんですよ。これって悲劇的な事だと思いませんか?」
 男は自分の頭を抱えて言った。僕はここにきて男が僕にソフトクリームをねだっているのだと気がついた。そして、なんとなくしゃくだったが男にソフトクリームを奢ってやった。男はおいしそうにソフトクリームを舐めていた。
 ところで僕はそのあと家に帰ったのだけど、その時にロッカーの鍵を拾った。うなぎドンのことを考えながら歩いていて、いつもとは違う道を歩いていたために鍵を見つけたのだ。
 その鍵は駅前のロッカーの鍵で、僕はそれを交番に届けた。鍵の持ち主はすぐに現れた。その人は綺麗な女の人で僕らはそれが縁でつきあうようになり、やがて結婚した。
 そして、もうすぐ子供が産まれる。
 妻は中野ブロードウェーのすぐそばの産婦人科に入院している。もうすぐ陣痛がはじまり、僕らの子供が産まれることになると思う。僕はちょこっとその産婦人科を抜け出して、中野ブロードウェーの地下でソフトクリームを舐めていた。病院にずっといてなんだか緊張疲れしてしまったのだ。妻の方が僕より落ち着いていて、散歩でもしてきなさいよ、と言ったのだ。
 僕はソフトクリームを舐めながらうなぎドンのことを思い出していた。
 当然だが、中野ブロードウェーの地下に悪臭は漂ってはいなかった。
 僕はソフトクリームを舐めながらそういえば、うなぎドンの話を聞かなければ僕はロッカーの鍵を拾わず、妻とも出会わず、これから産まれてくる子供もいないんだな、と思った。
 だからといって別に正体不明のうなぎドンに感謝したりはしないけど、単純にそういうことを思ってしまった。
 携帯電話が鳴った。病院から陣痛が始まったという知らせの電話だった。
 僕はソフトクリームを持ったまま病院へと急いだ。もうすぐ僕には息子が出来るはずだった。
 僕は妻にうなぎドンのことを話していない。なんとなくだが話す気にならなかったのだ。
 やがて産まれてくる子供にうなぎドンのことを話すかどうかはわからない。でも多分話さない。それもまたなんとなくだが、話さない方がいいような気がするのだ。
 でも、子供と夏にソフトクリームを食べているときに話してしまいそうな気もする。
 実際どうなるかはわからないけど、これもまたなんとなくだが、そんな気がするのだ。



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