〈エリカ十四歳県〉
 
 ああ、また屋上で泣いている奴がいるな、と俺は思った。そして自分も十年前はああして涙を流したものだと毎年思うのだ。
 俺はそっと歩き、フェンスにもたれ、夕日を見て黄昏ている新入社員の彼に近づいていった。
 俺が横に来ると、彼は俺を見た。そして、言った。
「エリカ課長」
 俺は彼の肩に軽く手を置くと軽くうなずいた。
「どうしたエリカ新入社員三号君」
 俺にそう言われ、彼の表情が暗くなった。
「課長……」
「エリカ課長だ」
「エ、エリカ課長……。あのエリカ課長はいつから慣れたんですか? その、この呼び名に……」
 彼は言った。
「慣れた? 子供の時分には、こんな名前嫌だとかもっと自分にはふさわしい名前があるに違いないとかは思うかもしれない、が、そういうのは時間が解決してくれるものだ」
 俺は言った。
「でも、自分はもうすでに大人っす。しかも大学を出るまではきちんとした日本人の名前があったんす」
 彼は言った。
「だが、今はこのエリカ商事の社員で、エリカ十四歳県に住んでいるんだぞ」
 俺は言った。一体このセリフを何十回言ったことだろう。みな同じ事を聞いてくる。そのたびに俺はこのセリフを言う。
「でも……」
 彼はつぶやくように言った。
「いいか、よく考えて見ろ。このエリカ十四歳県では重犯罪がほとんど起こらないんだ。それはなぜだと思う?」
「この県にいる人はみんな名前がエリカだからですか?」
「そうだ。名前が同じ人にはなんだか親近感を得るだろう? 自分と同じ名前の人を傷つけるとそれはなんだか自分自身を傷つけたように思えるものだ。だからこの県では重犯罪がほとんど起こらないんだ。みんなエリカさんだからな」
「そうですね。確かに自分と同じ名前の人を傷つけたくはないですね」
「そうだろ、だからエリカ十四歳県はこの世に存在できているんだ」
「わかりました。課長」
「エリカ課長だ」
「わかりました。エリカ課長」
 俺は彼の肩を抱き、力強くうなずいた。彼もまた俺を見て力強くうなずいた。それから俺達は肩を抱き合い燃えるような赤い夕日を長いこと見ていた。

 ここまでやらなきゃだめでしょう。
                   (株)超地球防衛軍

 僕の近所には(株)超地球防衛軍という変わった名前の会社がある。その名前はジョークなのかそれともまじめなのかわからない。ほにゃららマンのファンである社長がただ単にそういう名前を付けただけなのかもしれないがそれにしても怪しい。大体会社と言うよりも変な宗教団体のような匂いすら漂わしていて、その胡散臭さは親父な中年ナメクジが通販で買ったカタツムリの殻を背負って色気の漂う美少女カタツムリになんとか友達になろうと近づいてくるよりも胡散臭い。
 で、この会社のビルは大通りに面した一角にあるのだがそこに掲示板のようなものがある。
 そして、一週間ごとにここに変な訓辞というか物語というか会社の宣伝文句のようなものが書かれた大きなポスターが貼られる。掲示板の横にはそのポスターの縮小版のチラシがぶら下がっている。
 今週はエリカ十四歳県という題名の物語だった。
 この会社はこうして胡散臭く、その業務内容は至って謎で、このポスターの物語もいつもよくわからないものである。
 大体何を持って、ここまでやらなきゃだめでしょうなのだろう?
 ここまでってどれのことを言っているのだろう?
 エリカ十四歳県をつくって住民をみんなエリカって名前にして重犯罪を減らすことを言っているのか、部下と上司の気持ち悪いなれ合いのことを言っているのか、はたまた僕の全く予想のつかない物語に隠された裏の意味のことを言っているのだろうか?
 まったくわからない。
 でも、僕は毎週この掲示板に貼られるポスターを楽しみにしている。そして、チラシをとる。
 僕はこれから病院に行こうとしている。
 病院には僕の祖父が入院している。祖父は老齢で体も頭もまともとは言えなくなっている。正直まともな人が祖父の相手をするのは疲れる。僕も前は疲れた。頭の回線のショートした人に対してどう相手をすればいいのかわからなかったのだ。
 ある日、僕は親に言われて仕方なく祖父を見舞いに行く時、このへんてこな会社のへんてこなチラシを持って行った。それはたまたまこの会社の掲示板が病院へ行く途中にあったからであるのだが、病室で重い空気が漂っているときにふと祖父にそのチラシを見せた。
 祖父はそのチラシを読み、そしてとても面白いことを言った。それは僕では全く想像もつかない事だった。くだらないチラシの物語から遠く人類の創造に関するところまで思考が飛躍していた。僕は彼の話を楽しんだ。彼の話は独創性に富み、豊かな物語性を持っていた。
 それ以来僕は祖父の所に行くのが楽しくなった。彼の頭の中にそんなへんてこな物語を創る回路が詰まっているなんてとてもわくわくすることだった。月の裏側にプレイメイツがもてなしてくれるリゾート施設を見つけた気分だった。
 そういうわけで僕はエリカ十四歳県のチラシを持って病院へと向かっている。(株)超地球防衛軍のこのチラシが地球を守るために役にたっているかどうかはわからない。もしかしたら役にたっているのかもしれないし、役にたっていないのかもしれない。
 だが、このチラシから僕と祖父の関係は変わっていった。それはいいことだと思う。
 そして、こういうことは面白いことだと思う。
 チラシが地球を守るのに役に立つかどうかとは別に、確かに面白いことではあると思う。



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