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僕は目を開けた。そこはいつもの見慣れた僕の部屋だった。
僕は横を見た。そこには吉弓さんがすうすうと小さな寝息をたてて寝ていた。
髪が顔にかかって鬱陶しそうだったので僕はそっと彼女の顔を撫でて、髪をはらってあげた。時計を見ると夜の二時半だった。
僕は自分がじっとりと汗をかいているのに気がついた。
ベッドをそっと出て、バスルームへと向かってぬるいシャワーを浴びた。
一通り汗を流し終わるとタオルで体を拭いた。
口の中が気持ち悪かったので洗面台のところで歯を磨いた。
と、隣の勝手口が開く音が聞こえた。
メルの鳴き声が聞こえた。
それからTとIの話す声が聞こえた。
僕はTがこれからメルの散歩に行くのだな、と思った。
僕は腰にタオルを巻いたまま玄関の扉を開けた。そしてこう言った。
「T、俺も行く」
半裸の僕に突然言われたのでTは一瞬驚いて硬直していたが、すぐに下で待っている、と言うと階下へと下りて行った。
僕は素早く着替えると玄関を出、下へと下りて行った。
Tたちは一階にあるコンビニの前にいた。メルは僕の姿を見るとぐるぐる回り、きゃんきゃん吠えて飛び掛ってきた。
僕らはTがいつもメルを散歩させる近所の公園へと向かった。メルは公園でTやIと一緒に勢いよく走り回っていた。
夜の二時半でも公園には結構犬を散歩させている人がいるもので、何匹かの知った顔もやって来ていた。
メルは彼らとガウガウと言いながらじゃれあっていた。
僕もしばらくはメルを追いかけたりして遊んでやった。
走り回って少し疲れたので、僕はベンチに座った。
体力のあるTはいまだに全力で走って、メルと遊んでいた。
僕は顔を上げ、上を見た。
雲が無いため、たくさんの星がきれいに見えた。
あれらの星はたしかにNASAの偉い人や大学の教授が言うように、宇宙のどこかに浮んでいるのだろう。
永遠に続く破壊と再生を繰り返しているのだろう。
でも、こうしてぱっと見ただけでは、とてもそんな巨大な力があそこにあるなんて全く感じられなかった。
走り回って汗をかいたTがやって来て僕の隣に座った。額の汗をハンカチで拭っている。
「何もそんなに汗をかく程走り回らないでもいいのに」と僕は言った。
いやあ、とTは言った。
Tはしばらくすると落ち着いたようだった。
身体能力が高いTは息が切れてもちょっと休めばすぐに復活するのだ。
「新しい彼女?」
Tが聞いてきた。
僕の部屋へと向かう時の吉弓さんとの会話が仕事場にいるTに聞こえたのだろう。
僕は、そうだね、と答えた。
「こないだ小人が来たね」とTが言った。僕はちょっとだけ驚いた。
「なんだ、気がついていたのか」
僕は言った。Tはうなずいていた。
「気がついていたけど、どうしようもなかった。料理も早く食べたかったけど出来なかった」
僕はうなずきながら、ああ、そうだった、と言った。
「あいつらなんかやな感じだったね」
とTが言った。僕は思い切りうなずいた。
「あいつら帰るときに、誕生日プレゼントのつもりなのかどうかはわからないけど玉手箱を置いていったんだ」
僕は言った。
「玉手箱?」とTが言った。
「うん、あの浦島太郎がもらったようなやつ」
「開けた?」
「開けてない。なんか恐かったから」
ふうん、とTは言った。それから
「それはどこにあるの?」と聞いてきた。
僕はちょっと考えた。
そういえばあれはどうなったのだろう。ベッドの脇にあるテーブルの上に置いた気はするのだが、先ほど目が覚めたときには、そこにあれがあったような記憶がない。
僕は首を横に振った。
「さっきまでは部屋にあったけど、今はどうなっているのかわからない」
なんだそりゃあ、とTは言った。
僕はそう言ってからとたんに不安になった。
部屋に帰って吉弓さんが無事でいるかどうか調べたくなった。僕は立ち上がると、Tに先に帰ると言って走って部屋へと戻っていった。
部屋へ戻って寝室へと入ると、そこには先ほどと同じく吉弓さんが丸くなって寝ていた。
やはり小さな寝息をたてている。熟睡しているようだった。
僕はほっとした。それからベッドの脇のテーブルを見た。そこには玉手箱はなかった。
僕は吉弓さんの頭をそっと撫でた後、部屋の中を静かに見回した。ざっと見たところ玉手箱はどこにも見えなかった。
念のため押し入れの中も覗いてみた。でも、そこにも玉手箱はなかった。
僕は玉手箱は消えてしまったのだと思った。
それには僕が見たあの夢に関係あるのかもしれないと思った。
なぜ、吉弓さんが、この小さな女の人がこんな奇妙なことに関係しているのかはわからなかった。
僕は寝返りをうとうとしてもぞもぞと動いている吉弓さんを見た。
吉弓さんはいったん手足を伸ばして、先ほどとは逆の方向に向いて、それからまた手足を縮めて丸くなって寝ていた。
僕はベッドにもぐりこんだ。目を閉じて寝ようとした。でも寝られなかった。
十五分ばかしそうして寝ようと頑張ったけど、結局寝られないので起きることにした。
僕は起き上がるとそっとベッドから出た。
そして、テレビのある部屋に行き、テレビをつけ、音量を一番小さくした。
それから、テレビゲーム機の電源もつけると僕はあぐらをかいて最近話題になっていたため買ったロールプレイングゲームを始めた。
しばらくゲームをしていると後ろに人の気配を感じた。
僕は顔をあげた。吉弓さんが毛布に包まったまま立っていた。
彼女はしょぼしょぼとした目をこすっていた。
「うるさかった?」
僕はかちゃかちゃというゲーム機のコントローラーを扱う音で彼女を起こしてしまったのかと思った。
吉弓さんは首を横に振ると座り込んだ。
「強そうなのが来た」
吉弓さんが言った。
三つ首の巨大なドラゴンが僕のキャラクター達へと近づいて来ていた。
「こいつを倒すと、伝説の武器が手に入るんだ」と僕は言った。
へえ、と言って吉弓さんは僕の横でテレビを見ていた。
が、少しするときょろきょろと部屋の中を見回した。それから言った。
「玉手箱がないわよ」
そうだね、と僕は言った。それから
「どっか行ったか消えたみたい」と言った。
ふうん、と吉弓さんは言うと、もぞもぞと動いてあぐらをかいて座っている僕の後ろにまわり、体を寄せてきた。
毛布をいったん広げてから、自分と僕をそれで包み込んだ。
彼女に後ろから抱かれ、僕は心地よい暖かさに包まれた。
「ねえ、私、あれを壊したのよ」
吉弓さんが僕の肩に頭をのせて言った。
「知ってるよ」と僕は言った。
「知ってるの?」と吉弓さんは意外そうに言った。
うん、と僕はうなずいた。
ふうむ、と吉弓さんは言ってから少し考えていたようだった。
僕のキャラクター達は持てる力の全てを使って三つ首のドラゴンと戦っていた。
ドラゴンは手強く、僕のキャラクター達は何回も戦闘不能状態になりながらも、魔法やポーションを使って立ち上がってドラゴンに立ち向かっていった。
「見てたの?」
吉弓さんが聞いてきた。彼女が発する言葉は僕の耳にとても心地よかった。
「見てたよ」と僕は答えた。
「どうだった?」
「かっこよかったよ」
僕は答えた。
本当にあの吉弓さんはかっこよかったのだ。
だって、いきなり春らしいワンピースを着た小柄な女の人がおもむろにハンドバッグから拳銃を取り出してニキータみたいに撃ちまくるなんて、かっこよすぎる。嫉妬する位かっこいい。
ふふふ、と笑いながら吉弓さんは僕をさらに強く後ろから抱きしめた。
僕のキャラクター達はドラゴンを倒した。ドラゴンの体は光り、伝説の剣へと変わっていった。僕のキャラクターはその剣のところまで走り寄り、それを拾った。
「やったわね」
吉弓さんが言った。
「やった」と僕は言った。
簡単なことだった。わかりやすい。僕のキャラクターは求めるものを手に入れた。
僕はその状態をセーブするとゲーム機の電源を落とした。それから後ろを振り返り、吉弓さんにキスをした。そして、したいんだけど、と言った。吉弓さんは、また? という顔をした。だめかな、と僕は言った。吉弓さんは少し考えてから立ち上がり、僕の手を取って寝室へと歩いていった。
そのうちに何かわかることがあるのかもしれなかった。それは実際にはどういうことになるのかなんてわからないけど、今はわからないことがわかるようになるという事もあるのかもしれないと言うことだ。
そんなことは一度言い始めればきりが無く続けることも出来るけど、少し離れてみると只の雑音にしか聞こえないことでもある。それでも何かをたとえそれが決め付けであっても、決めなければいけないように、考えなければいけないとは思っていた。
吉弓さんの体は温かかったし、彼女が何かしらかの力を持っているということは確かなことだった。それは実感できたし、僕はそんな彼女を抱きたかった。
立てかけられているギターの音がどんな音色なのかはやはり弾いてみないとわからないし、茹でた卵の中に何が入っているのかは殻を割ってみないとわからない。問題となるのはそのギターを手に取るか取らないか、卵を茹でるか茹でないかだと今は思っている。
僕はやはり考えてしまう。
終わりということや始まりということ、そして僕らが立っている場所というものがどこなのかは考えたくなくても考えてしまうのだ。
いまだ隠されている気がついていないことや創造することが出来るものについても考えてしまう。
そんな風にして少しずつ物事を追い詰めていく行為は確かに足音を立てて進み、僕らをどこかへとは押しやっていく。
メルの鳴き声が聞こえた。
Tたちが帰って来たのだ。
吉弓さんは僕の下で目をつぶり、時折下唇を噛んで声を押し殺し震えていた。吉弓さんの軽い痙攣が僕にも伝わってきた。吉弓さんの体は温かく、綺麗で、僕はとても幸せを感じていた。
はっ、として僕はベッドの横のテーブルの上を見た。
一瞬そこに玉手箱があるような気がした。でも、それは僕が描いたまぼろしだった。まぼろしはすぐに消えた。テーブルの上には何も無かった。
どうしたの? と吉弓さんは目を開けて、息を静かに吐くようにして言った。
僕はなんでもない、と首を横に振った。
T達が玄関の扉を開けて中に入る音がした。なにやらどたどたという音が聞こえた。Tが、雑巾雑巾、と叫ぶ声が聞こえた。メルが走り回る音が聞こえた。Tがそれを追いかける音が聞こえた。
どうやらメルは汚れた足のまま、室内を駆け回り、Tはそれを追いかけているようであった。
うるさいわね、と吉弓さんが言った。
せっかくいいところなのに、いつもああなの? と吉弓さんは聞いてきた。
僕は体を動かすのをやめ、ああそうだ、あいつはいつもああなんだ、と言った。
Tはいまだにメルを追いかけていた。
吉弓さんが、まーだやってるわ、と言った。僕はその彼女の言い方がおかしくて思わず笑ってしまった。吉弓さんはやれやれという顔をしてTの家側にある壁を見て小さなため息を一つついた。
Tはいまだにメルを追いかけていた。
了 |