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 本屋であっても、図書館であっても、突然意識の中に飛び込んでくる本というものがある。
 まるで、隠された場所を何かのきっかけで見つけてしまったかのように、それは、意識の奥深くに入り込んでくる。
 手に取らないではいられない。
 既存していた邂逅すべき存在との出会い。
 その絵本はそんな種類の本だった。
『夢を売るセールスマン』と言う題名だった。
 駅ビルに入っている本屋に並べられていた。
 昔の本だった。作家はもうずいぶん前に老衰で亡くなっていた。
 その作家は、幼い頃、目が見えなかった。だが、ある時、突然見えるようになった。
 手術をしても視力を得ることは出来なかったのに、何をしたというわけでもなく、目が見えるようになったのだ。
 当時、作家の家は金に困っていた。
 目が見えるようになった直後、男がやってきた。
 ハンサムな男で、ピシッとしたスーツを着ていた。
 男は、自分は人々の夢を叶えるセールスマンである、と言い、その時必要としていたお金を置いて去っていった。
 その後、作家は事故にあい一旦死亡するが、奇跡的に生き返る。
 作家は、その体験を絵本にした。
 絵本の表紙にはそのセールスマンの絵が描かれていた。
 僕は、その表紙の絵を見た瞬間、全身が一気に総毛立ち、手に持ったコーヒーのプラスチックのカップを落としそうになった。
 絵本を手に取り、ページを繰るにつれ、僕は様々なことを思い出した。
 僕はよろめきながら、自分の店に戻ろうとした。
 駅ビルから出た向かいにその店はあった。小さな花屋だ。
 僕は、休憩にコーヒーを買おうと駅ビルの中にあるカフェに来たところだったのだ。
 僕は、自分がいるべき場所はここではないと感じていた。
 今までそんなことを感じたことは無かった。
 けれど、今は、この世界に対して強い違和感を持っていた。
 僕は、昔、今のこのスマートな姿とは違い、醜くくそして聖なる太っちょだったのだ。
 自己犠牲を自らに課す太っちょだったのだ。
 そして、異形の者達の王だったのだ。
 この宇宙のどこかでその王国は輝き続けているのだ。
 僕の日常、それまでの記憶している日々は、脆く崩れ去ってしまった。
 あらゆる物事が変わってしまった。とにかく、ある瞬間に変ってしまったのだ。
 僕は、僕の父や母や兄を懐かしく思った。
 今の父や母や兄ではない。
 彼らとは違う家族が僕にはあったのだ。
 僕は立ち去ろうと思った。今、体に巻いている花屋のエプロンを取り、この場所から去ろうと思った。
 そして、僕が太っちょであった時の父や母や兄に会いに行こうと思った。
 僕が立ち去ろうと思った瞬間、視界に僕の花屋が見えた。
 花屋では妻が働いていた。彼女は小さな体で一生懸命働いていた。
 花束を作ったり、リボンを巻いたりしていた。
 僕は彼女の手を思い出していた。
 いつも水に浸って、爪も伸ばせずに痛んだ彼女の手がとても懐かしく、愛しく思えた。
 僕は、本当は叫びたかった。
『異形の王よ、太っちょのあの体を、そして、その家族を返して欲しい! あの世界こそが僕の本当の世界なのだ!』
 こんな風に叫びたかった。
 けれど、できなかった。
 もしも、僕がそんなことを叫んでしまえば、目の前にいる僕の妻は消えてしまうだろう。
 彼女は僕が望んだがゆえにあそこに存在しているのだ。
 この世界は異形の王が僕の望みを叶えたために生まれたのだ。
 僕が今の世界を望まないようになったら、彼女は消えてしまうのだろう。
 物事を変えるというのはそういうことなのだ。 
 僕は叫べなかった。
 僕は、しばし、その場に立ったままでいた。
 僕の中では聖なる太っちょが目を覚ましていた。
  
     ☆

 本当にさ、僕は妻にちょっと頼まれて、仕事の合間にコーヒーを買いに来ただけでさ。それで、ぼうっとそんなことを考えたのかもしれないんだ。
 そんなことってのは、僕が聖なる太っちょだったとか、どっかの星の王様だったとかってなことだよ。
 妻にそんな話したらけらけら笑われるかもしれないね。
 少しだけ悲しいけれど笑える話だってことは間違いないね。
 なんかのきっかけでさ、二人の仲がぎこちなくなって、口ごもったときなんかに話すといいかもしれないよね。
 そんな考えも悪くないと思うのさ。

 このいかれた世界で生き残るには、パンを喰うように戦えって昔、あの父さんは言ったけど、この時はそんな気分になれなかったな。
 もう少ししたらそんな気分になるかもしれないけれど、この時はだめだったな。
 僕が見ていたものっていったらさ、花屋の点いてない電球だったんだ。
 それが気になったのさ。
 そいつがその時僕の心を捉えてたんだな。
 コンセントが抜けているわけじゃないんだよ。きっと寿命が切れたのさ。
 電球を替えてやれば点くと思うんだ。
 あの電球が光ったら素敵だなって思ったんだ。
 その下にあるマリーゴールドだって綺麗に輝くだろうし、店だってもっと明るく見えると思うんだ。
 明るい店って良い感じだろ? 
 暗い店だって悪かないけど、花屋は明るいほうがいいさ。
 だからね、僕は電球を買いに行ったのさ。
 くるりと、後ろを向いてね。

 僕の話はね、これでおしまいなんだけどさ、もしも良かったら、失われた王国や懐かしい人々について思い返してもらえたりするとうれしいな。
 もしかしたら、僕らは彼らのおかげでここにいるのかもしれないし、彼らは僕らのおかげであっちにいるのかもしれないわけだからね。


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