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なんて言ったって足が無いから、店の前に立てないし、手がないからリボンが結べない。 そんな人が花屋にいても役に立てないよね。 想像できるだろ? ベッドに一人でいると、僕はこんなことばかり考えてしまうんだ。 なんて言ったって時間はたくさんあったからね。 で、こんなことを考えていると、少しだけ暗い気分になっちまうんだな。 あんまり、幸せな気分じゃないな。 亀の甲羅が割れる音を聞いたような感じさ。 そんなのが聞えちゃうともうだめだよね。 一日中濡れた服を着ているみたいに気持ちが悪いよね。 僕は、僕の他にも、こんな風に考えている人がたくさんいるのかなって思ったんだ。 そんな人がいるなんて考えたくないな。そんなの考えるのって健康によくないよね。 でも、考えちゃうんだな。 それで、僕は思いついたのさ。 僕はベッドから這い出て、父さんの書斎まで行ったんだ。 這い進むのには慣れていてね。顎で床を引掻くようにして進むんだ。 僕は力が強いって言っただろ? 顎の力も強いんだ。 父さんの書斎には金庫があってね。 そいつに用があったのさ。 金庫の番号は知っているんだ。 ダイヤルを歯でかりかりと回せば開くのさ。 中を覗きこむと、見つけたんだ。 石板だよ。あの石板。 僕は石板と石のペンを取り出したんだ。 それから石のペンを銜えてね。石板にこう書いたんだ。 『夢を叶えるセールスマンが現れる』 人々の望みを叶えるセールスマンなんだ。 悲しい気持ちになっている人のところに行って、望みを叶えるのさ。 そんなセールスマンを創ったんだ。 悪くないアイデアだろ? 文字はすぐに消えてね、代わりにこんなのが現れたのさ。 『歯が失われる』 僕は自分の口の中が急にすかすかになったのを感じたんだ。 舌で触ってみると、そこにはさ、歯がないんだよ。 石板に現れた文字のとおりさ。 無くなったのが、僕の歯でよかったよ。 顎が無くなる、なんてのがでたら、移動できなくなるからね。 海が無くなる、だったら魚が困っちゃうし、山が無くなる、だったら紅葉狩りができなくなっちゃうからね、歯がなくなるくらいがちょうどいいのさ。 歯はいいのさ、取り戻したければ、そう書けばいいんだからね。 かわりにセールスマンは消えちゃうんだろうけどさ。 もともと存在していないんだから、まあ、いいよね。 音がしたんで、僕は部屋の隅を見たんだ。 痩せた男の人が立っていてね。 ピシッとしたスーツを着ていたんだ。 帽子なんかも被っててね。 かっこいい感じだったな。 かっこいいってのは要するに、僕がその人だったらいいなって思うような人とか事とかだよね。 あれだよね、街とかでさ、時々、こいつかっこいいなって思う人を見ることあるじゃない。 そんなときにさ、一瞬でその人に成り代われたらとても素敵だと思わない? ちょっといい感じだよね。でも、気をつけないといけないよ。 見た目にはかっこよくても変なコンプレックス持ってて、歩きながら自分の舌を噛んでいるのかもしれない。 口の中が血だらけなのさ、そんなとこは真似しちゃいけないな。 僕が創ったセールスマンはそんなことなかったのさ。 やあ、ってな感じで白い歯を見せて笑ったんだ。さわやかな感じの笑いさ。血なんて一滴もでてないのさ。 僕もやあ、ってな感じで笑みを返したんだけど、僕は歯がないからね、あんまりさわやかじゃなかったな。 さて、どうしたらいいかね? なんてセールスマンは聞いてきたのさ。 生まれたばっかりだからね、すぐにやることなんか思いつけないんだよ。 困っている人のところに行って助けてあげてよ、って僕は言ったんだ。 それはいいけれど、そんなにたくさんの望みは叶えられないな、ってセールスマンは言ったんだ。 何故、って僕は聞いたね。 君の体は限られているから、ってセールスマンは言ったんだ。 セールスマンが言うにはね、人の望みを叶えるたびに、僕の体が 失われていくんだって。 セールスマンって言うくらいだから、何かを売って代わりに何かをもらうわけだけど、それが僕の体ってわけだ。 そりゃないよね。それじゃあ、石板に望みを書くのと一緒じゃないか。 僕は、単純に、みんなの望みを叶えるセールスマンを創りだしたかったのさ。 でも、だめだったんだな。 本当、なかなか世の中上手くいかないもんだよ。 僕はがっくりきちゃってさ。 疲れたラバみたいになっちゃったな。 セールスマンを消して、歯を取り戻そうかと思ったんだよ。 でもね、そうはしなかった。 話し相手になってくれるしね、細いくせに力持ちで、僕を運んでくれたりするんだ。 椅子に座らせてくれて、ジュースとか望遠鏡とか持ってきてくれるんだ。 僕の家は高台にあってね、窓の外に街が一望できるのさ。 望遠鏡で街を見ていると、一日中飽きないね。 覗き見していると少しだけ悪い気がしてくるけれど、面白いことにはちがいないよね。 街にはたくさんの人が住んでいたね。 僕は、街にこんなにたくさんの人が住んでいるなんて知らなかったよ。 なんて言ったって、めったに家から出ないからね。 こんなに人が多いんじゃ、喜びも多いだろうけど、悲しみや悩みも多そうだったな。 僕の体は一つしかないし、それも半分ポンコツみたいなものだからね、もう何の役にも立たないのかもって思ったんだ。 そうしたら、また少し、悲しい気分になってきちゃったな。 悲しい気分になったから、楽しい気分にしてくれ、って僕はセールスマンに言ったんだ。 何せ、僕の歯と交換に生まれたんだからね。 それぐらいの我儘は聞いてもらいたいよね。 セールスマンは望遠鏡を動かしたんだ。それで、覗いて見ろって言うんだ。 見ると、一軒の花屋が見えたんだ。駅前にあるのさ。 小さいけれど、綺麗な花屋でね、小柄な女の人が働いていたのさ。 僕が夢見ているような花屋だったよ。働きたいと思っているようなね。 そのとき、僕はひらめいたのさ。 石板に、僕があの花屋で働く、なんて書くのさ。 すばらしいアイデアだったのさ。 僕の心はうきうきしちゃってさ、さっそくセールスマンに石板を取りに行かせたんだ。 石板に、そのアイデアを書こうと思った時にさ、セールスマンが言うんだ。 代わりに何かが失われますけど……。 そうだった、僕は自分のアイデアに浮かれすぎて忘れていたんだ。 僕があの花屋で働くってことは、五体満足になるってことさ。 両手足がない状態じゃ働けないからね。 それは、何かと交換なのさ。 何と交換になるのかな? って僕はセールスマンに聞いたんだ。 セールスマンはわからないね、ってさらっと答えたよ。 彼にもそれはわからなかったんだな。 実際に書いてみないとどうなるかはわからないんだな。 けれど、きっと、母さんやリビーやアイリスがいなくなっちゃうようなことなんだろうな。 彼らは僕の手足と交換で存在しているんだからね。 本当はどうなるかわからないから、試してみれば? ってセールスマンは言うんだ。 もっと、簡単なことかもしれないって、シマウマの縞が横じまになるとか、猫の髭が抜けてしまうとかね。 でも、そんなのってないよね。 シマウマだって猫だって困っちゃうさ。 ちょっと考えたんだけど、結局僕は、花屋になるアイデアは忘れることにしたんだ。 やっぱり、何かを変えてしまうのって怖いからね。 僕はまた、心が沈んできちゃったな。 「彼女、病気の息子がいるんですよ」 唐突にセールスマンが言ったんだ。 「目が見えなくてね」 こいつってば、さっき生まれたばかりなのに、世界のことをよく知っているのさ。 かっこいい奴ってのは、物事をよく知っていたりするんだよね。 ガムを包む紙だって、いつでも持ち歩いているような感じさ。 もちろん、女の子がその紙を探している時に渡すためさ。 用意周到ってやつなんだよ。 ほんと、物事をよく知ってんだ。 「まったく見えないんだよ」 セールスマンは言うと僕を見たね。 まったく、やんなっちゃうよね。 セールスマンの言うことは、すっかり聞えちゃったのさ。 一回聞えちゃったものを、聞えなかったことにするのって難しいよね。 「花が何を意味するのか知らないんだ」 言うと、セールスマンは望遠鏡を動かしたんだ。 覗くと小さな家が見えた。海岸沿いにある木造の二階建てのアパートだった。 窓が開いていてね、ベッドが見えたんだ。 誰かがいたね。太った女の人と、パジャマ姿の少年だったよ。 少年は女の人と何か話していたね。 で、どうやら少年は目が見えないらしいんだ。 僕は、その子が花屋の女の人の息子だなって思ったんだ。
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