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A
しばらくしてからだよ。扉が開いたのはさ。 部屋に入ってきたのはアイリスだったね。 僕は顔を挙げてアイリスに挨拶したよ。 アイリスも手を挙げて、笑みを浮かべて僕に挨拶したね。 僕らはわりと仲が良かったんだ。 アイリスは元気そうだったな。快活な娘なんだよ。 もともとね。 僕は彼女のそんなとこに好感を持ってたんだ。 でも、その時はなんかおかしいなって思ったんだ。でね、気がついたんだよ。 アイリスが死んだってことにね。 そうなんだよ。 彼女、病気で死んじゃったはずなのさ。でも、僕の部屋を歩いているんだ。 幽霊じゃないんだよ。 きちんと足だってあるしね。 いつもと変らない感じなのさ。 母さんがね、父さんになんか言いながら近づいて行ったんだ。 それで、父さんから石のペンを取ってね、石板になんか書いたのさ。 そしたらね、僕の腕が一瞬にして現れたのさ。 僕はパジャマを着ていたんだけどさ。 そのパジャマの袖が膨らんだんだ。 僕の腕が現れたのさ。 腕が現れたのに驚いてたら、バタン、って音がしたんでそっちを見たんだ。 音の主はね、アイリスだったんだよ。 アイリスが倒れたんだ。 バタンって床にね。 這いつくばってうごかなかったな。 そしたら、今度はリビーが母さんから石のペンを取ったんだ。 そして、石板に何かを書いた。 僕の腕はまた消えたんだ。 パジャマの袖はふんわりと、たたまれるみたいにベッドに落ちたよ。 むくって感じでアイリスが床から立ちあがったんだ。 アイリスはやあってな感じで笑いながら僕に手を挙げたんだ。 僕も顔を挙げて微笑みを返したよ。 僕らは仲がいいからね。 アイリスが立ち上がる途中でさ、母さんがリビーから石のペンを取り上げたんだ。 それでまた、石板に何か書いたんだな。 僕の腕が、またまた復活したんだ。 バタンって音がした。 床にアイリスが倒れていた。 リビーが母さんからペンを取り上げた。 僕の腕が消えて、アイリスが立ち上がろうとした。 母さんがリビーからペンを取った。 アイリスがバタンで、僕の腕が復活した。 むにゃむにゃむにゃ。 で、そんな感じで同じことが何回か繰り返されたのさ。 僕はアイリスが、そんなに床に体を打ち付けて大丈夫なのかな、って思ってたんだ。 硬い床だったからね。 僕だったら一回でごめんだな。 痣だらけになっちゃうよ。 少しして、父さんが、石のペンを取り上げたんだ。 リビーからね。 僕の腕が消えた直後だったな。 「いい加減にしろ!」 父さんは言ったね。 僕は気がついてたんだけど、僕の腕が消えることとアイリスが生き返ることは関係があったんだな。 僕の腕とアイリスの命は交換だったんだよ。 リビーはアイリスを生き返らせたいけれど、母さんは、僕が腕を失うのを嫌がったんだな。 全く、時々この世界ってのは意地悪なことをするのさ。 「このままでいいよ」 僕は言ったんだ。 つまりは、腕が消えたままでいいよってことをね。 でも、ってな感じで母さんは僕を見てたんだ。 「大丈夫だよ」 僕は腕がなくても気にならないってことを言ったんだ。 僕は首の力が強いからね。 首だけで移動することは簡単なのさ。 多少ハンデがあった方が、人生にもやる気が出てくるしね。 まだ、口があるんだから、喋ることはできるのさ。 パンをぱくぱく食べる事だってできる。 できることはたくさんあるね。 それに、アイリスがこの世にいないよりは、いた方が僕も嬉しいんだ。 ちょっと恥ずかしいことだったから、言ってなかったんだけれど、僕の見た目は醜いんだ。 とってもね。 本当は、リビーみたいに甘い顔になりたいんだけどさ、実際は正反対なのさ。 僕の笑い顔なんてみたいと思う人いないんじゃないかな? そんな男の太い腕よりも、アイリスみたいな綺麗な子が存在している方が有意義だと思ったんだ。
その晩、父さんは石板について話をしてくれたんだ。 その石板は、父さんと母さんが新婚旅行でなんとかっていう暑い国に旅行したとき手に入れたんだって。 奇妙な雑貨屋みたいな店にさ、くしゃくしゃのミイラみたいな老婆がいてね、彼女が父さんに言ったんだ。 「この石板を買いなさい、きっと、役に立ちますよ」 父さんは値段を聞いたんだ。 その頃の父さんは貧乏って言ったら何だけど、とにかくお金をそんなに持ってなかったんだな。 老婆はね、とても安い値段を言ったんだ。 でも、ただの石板だよ。 重いし、奇妙だろ? 父さんはいらないよって言ったんだ。 「望みを叶える板だよ」 老婆は言ったんだ。 父さんは笑っちゃったらしいんだ。 だって、いかにも詐欺っぽいだろ? で、その場を去ろうとしたんだ。 そしたら、老婆が後を追いかけてきて、必要になったら、また来なさいって言ったんだ。 父さんは、笑ってそのまま、立ち去ったんだ。 でも、二日後にその店に行くことになるんだな。 どうしてかって言うと、母さんが鞄を盗まれたんだ。 通りでね、小さな少年が母さんに後ろから近づいてきて、さっと鞄を取ったのさ。 鞄には大事なものがたくさん入っていてね、父さんたちはとっても困ったのさ。 警察なんてあてにならなかったのさ。 治安が良いとは言えない国でね。でも、鞄は取り戻さないといけなかった。 どうしようかってな感じで考えていたとき、父さんは老婆の言葉を思い出したのさ。 「望みを叶える板だ」 もちろん、まるっきりその言葉を信じたわけじゃないんだよ。 けど、その時、他にできる事がなかったのさ。 父さんと母さんは雑貨屋に行ったんだ。 事情を老婆に話すと、老婆は石板を試してみるといいって言ったんだ。 そして、石のペンを父さんに渡したのさ。 父さんはペンの意味がすぐにわかったんだって、僕は父さんにこの話を聞いたとき、意味がすぐにはわからなかったな。 実際に目にしていたのにね。 僕はあんまり頭が良くないんだな。 父さんは頭が良いんだよ。 父さんは、そのペンで石板に望みを書くんだってすぐにわかったんだ。 笑っちゃうような話だよね。まるで御伽噺さ。 でも、父さんは石板に母さんの鞄が戻ってくるように書いたのさ。 石板に書かれた文字はすぐに消えたんだって、ぼんやりと薄くなっていったんだって。 で、代わりにこんな文字が現れたのさ。 『しばらく視界が失われる』 父さんは、その文字を見てないのさ。 その文字は母さんが見たんだって。 父さんは後で母さんから聞いたのさ。 なぜなら、父さんはその時、目が見えなかったのさ。だから、文字を見る事ができなかったんだな。 まさに、石板に現れた文字のとおりさ。 しばらくすると父さんの目は元に戻ったのさ。きちんと見えるようになったんだ。 で、母さんの手の中には鞄があったっていうわけ。 老婆は、にやにや笑いながら父さんを見ていたね。 もちろん、父さんは石板を買ったんだ。 帰ってきてから、父さんは仕事を始めた。でも、あんまり上手くいかなくてね。 とっても苦労したらしいんだ。 石板はどうしたの? ってそこで僕は聞いた。 だって、あの石板になんでもかんでも好きなことを書けば、どんなことだって思い通りだよ。 でも、父さんは書かなかったんだな。 その当時の父さんは、こう考えたんだ。 あの石板は、確かに望みを叶えてくれるけれど、その対価として、何かを差し出さなきゃいけないんだって。 お金を出して物を買うのと一緒だよ。 つり合う何かと交換なのさ。 母さんの鞄と、父さんの視界が交換だったようにね。 父さんは、何度か試したんだって。 まずは、小さなことからね。 寝癖を直すとか、車が綺麗になるとかね。 そのたびに、奇妙なことが起こったんだ。 髭がなくなるとかしばらく口がきけなくなるとかね。 それで、どうやら、望みの規模が大きいほど、その代わりに起こる現象も大きいってことに父さんは気がついたんだ。 へえ、なんて僕は言っちゃったね。 なかなか世の中思い通りにならないもんだね。
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