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 =運命的な出会い、そして変わっていくこと=

 ジョージから聞いて、マーベリックにやってきたロックをソニアは一発で気に入った。お金の無いヒッピーのような汚らしい格好の背の高い男にソニアはスターになる要素が多くあることを強く感じたのだ。
 ロックはソニアのことを最初は香水臭い金持ちの娘と言う感じで見ていたが、ソニアが言うロックの作品の批評を聞いているうちに最初の頃に抱いた悪い印象はどこかに消え去った。的確にロックの感じて表現したことを言い当て、さらにロックが気がつかなかった作品が持つ力を言葉たくみに表現した。ロックは聞いた。
「R・J・リッチーよりも有名になれるかい?」
 ソニアは言った。
「あなたしだいね。今のままではだめね」
「何故?」
「単純にもっと売れないと、売れることによって作品が持つ意味というものも変わっていくのよ」
 ロックはソニアの商業的な意見に言い返そうと思ったが、しばらく考えてみると確かにそういったことも現実にはありえることに気がついた。
「売れるにはどうしたらいい?」
 ロックは訊いた。ソニアは長いマツゲの奥に光る蒼い瞳でロックを見ながら言った。
「私にまかせなさい」
 ソニアの目は人を惹き込み、放さない強い力を持っていた。自分より十歳近く下の娘にロックは何も逆らう気が起きなかった。性的な魅力は感じなかったが、自分にとって必要な存在であると思った。ソニアに三日後にまた来るように言われてからロックはマーベリックを出た。
 オラクルに帰ってきたロックをシェリルは心配そうな顔で向かえた。
「話はどうだったの?」
 シェリルが訊いた。
「ああ、なんかよくわからないけど作品を売ってくれそうだ」
「変な人だったでしょう?」
「ソニア? そうだな。香水臭い奴だった」
「でも、頭はいいわ」
「そうかもしれない。だが、なんか胡散臭い感じがした」
 ロックはそう答えたが、実際にはソニアには胡散臭いところは感じていなかった。ソファに横になったロックの上にシェリルが寝転んできた。シェリルはロックに軽くキスをすると
「作品、売れるといいわね」
 と言った。

 三日後、ロックがマーベリックに行くと、ソニアはたくさんの服やアクセサリーを事務所の机の上に広げて待っていた。これはなんだい? とロックが訊くとソニアはロックの衣装だと答えた。
「衣装?」
「そうよ」
「俺は絵描きだぜ」
「でも服装にこだわってもいいでしょう?」
「そうかな?」
「とにかく着るだけ着てみてよ」
 ロックは最初抵抗をしてみたが、押しのつよいソニアに結局は着させられた。
 スパンコールで覆われた細身のジャケットや蛍光色のスーツやひらひらのついたシャツをロックは着させられた。
「派手だな。まるでピエロだぜ」
「いいえ、鏡でよく見てよ。よく似合っているわ」
 それらを着たロックをソニアは鏡の前に連れて行った。ロックは鏡にうつる自分の姿を見た。派手な服は机の上に置かれている状態ではミュージカルの衣装やサーカスの衣装のように唯の派手な小道具といった感じだったが、それらを着たロックはロックスターには見えても全くピエロには見えなかった。
 洗いざらしの長髪と無精髭が服に良く似合った。ロックは鏡の前で色々とポーズを取ってみた。
「悪くない」
 ロックは言った。
「そうでしょう。良かったわ、サイズがぴったりで」
「でもさすがに普段は着れないぜ。こんなの着て絵は描けない」
「普段から着る必要はないわ。メディアに出るときだけよ」
「メディア?」
「雑誌やテレビよ」
「なるほど。でもそいつを見た奴らは、あの鏡に写る奴が本当の俺だと思うだろうな」
 ロックは鏡に写る自分の姿を指差し言った。
「そうね」
「でも、それは違う」
「それはどうかしら? よく見て、鏡の中にいるのもあなただし、汚い格好で絵の具にまみれて作品を描いているのもあなただと思わない?」
 ロックは鏡の中にいる自分を見た。確かに鏡の中にいるのは自分だった。それはどこかの誰かに創られたものでもないし、空想上の生き物でもない。明らかに自分だった。ロックは小さくなるほど、と言った。

 ソニアの売り方は完璧だった。最初の個展の前にソニアはロックをあるパーティーに連れて行った。そして、そこで大物ファッションデザイナーに引き合わせた。ソニアの読みは完璧で、そのファッションデザイナーはロックの作品もそして、ロック自身も気に入った。それからソニアの口の上手さが光り、そのデザイナーのブランドの次のコレクションのイメージとしてロックが使われることになった。ソニアが交渉している間、ロックは唯派手な衣装を着て突っ立っているだけだった。
 ロックの作品が大物デザイナーに起用されたと言う情報はファッション業界や現代アートの業界ではすぐに有名になった。
 ソニアはロックの作品を、コネのある有名レストランに飾ってもらうようにしたり、ロックスターのアルバムのジャケットに使ってもらうようにしたりと忙しく走り回っていた。ロックは絵を描く時間やシェリルと会う時間が少なくなっていくことに不満を感じたが、ロックスターと話したり、パーティーに呼ばれたりするのには喜びを感じた。
「最近食事しづらいんだ」
 高い天井に無数のシャンデリアが吊るされ光るレストランでロックが言った。ソニアは、ランチの皿を下げられたあとに出てきたカプチーノの匂いをかいだ後、魚のうろこみたいに光る素材の鞄から細い煙草を取り出して火をつけて深く吸った。真っ黒の大きなサングラスに天井のシャンデリアの光が映っている。
「食事しづらい?」
「ああ、見ろよ、あっちの連中もそっちの連中もみんな俺を見ている。後ろの連中だって俺の背中に穴が開くほどじろじろ見ているに違いない」
 ソニアは少し背筋を伸ばしてロックの後ろ、五メートルほど先にある丸テーブルに座る客の一群を見た。客らはこちらを見て何かひそひそと話していた。
「そうね。じろじろ見てるわ」
「だろ」
「でもね、ロック、そう言うのはすぐに慣れるわ。それにあなたは絵描きよ。ロックスターではないの。見た目はそうだけど少し有名人としては毛色の違うものなのよ。ロックスターだと普通に路地を歩いてたら熱狂的なファンに何をされるかわからないけど、芸術家はそんなことにはならないわ。みんな、ああ、あの有名な画家だって思うだけで特に何もしてこないわ。だから、普通にしていればいいのよ」
「そういうもんかな?」
「そうよ」
「でも、この間道端でサインが欲しいってねだる子供がいて、その子がかわいかったんで似顔絵を簡単に描いたんだ。そしたらその子の母親がそれが高く売れるとか何とか周りに言ったもんだから俺にも俺にもって人が集まってきた。最初の二、三人は描いたけど何百人も描けるはずは無い。それで適当なとこで走って逃げたんだ。そうしたらみんな俺を追いかけてきて……。殺されるかと思った」
 ソニアは煙草の煙を深く吸い込んでからゆっくりと吐き出した。それから口を開いた。
「私がいいって言うとき以外は絵を描いちゃだめよ」
「なんだって? 俺は俺の描きたいときに描く」
「ええ、それでいいのよ。でも私はあなたと一緒にいないときにあなたを守ることはできないの。怒らないでよロック。私はあなたの作品自体に何か文句を言ったり強制してこうしろなんていったことないでしょ。でも、私はあなたの作品を売りたいの。物を売るのにはそれなりにルールがあるのよ。私は作品は作れないけど売り方のルールは知っているつもりよ。あなたはもちろん思うが侭に作品を作っていればいいんだけど、売れることに伴って変化していく周りの状況にも少しは気を配ってよ。作品を売りたいんでしょ」
 ロックはしばらく黙って考えていた。ソニアがテーブルの下から左手を伸ばし、ロックの右手を握った。ロックは華奢なソニアの手をそっと握り返した。
「ああ、たしかに君は正しいよ。世界は変わっていくもんだ。俺にもそれはわかっている。ただ、あまりにも変わりすぎたんで少し自分の中で調整が上手く行かないんだ」
「そうして消えていく人は多いわ。でもあなたは大丈夫よ。そういったことも見越して私はあなたにかけたのよ」
 ロックはソニアの言葉を噛み締めるように聞くと、小さく何度もうなずいた。

 ソニアがロックの私生活にまで口を出してくることにロックはうざったいなとは思ったけれど、ソニアのマネージャーとしての手腕は認めざるおえなかった。
 ロックは最初の個展を開くまでに数えきれないくらいの取材を受け、有名人に会い、そしてロック自身有名になっていた。メディアに出るときはたいていソニアが選んだ服を着てでた。だが、ロックが話す内容にまではソニアは口をはさまなかった。ロックのインタビューに答える見た目とは逆の落ち着いた語りで詩的な表現はロックを唯の見た目と若さだけの他のアーティストと一線を画していた。
 ロックの最初の個展は話題性と作品数の大きさから、マーベリックではなく、市内の大きなレストランを借り切って行った。初日には大勢の有名人が来た。みんな飾られたロックの作品を見て好き勝手なことを言っていた。
 大勢の着飾った有名人で溢れるロビーを覗き見てロックはソニアに言った。
「あいつは俺が子供の頃から知ってる歌手だ。あっちの太ってんのも見たことあんな。昔テレビドラマで見たことがある。R・J・リッチーもいるな」
「今ではあなたのほうが有名人よ」
 子供のように話すロックの後ろでソニアが言った。
「さあ、行きましょう。みんなが待っているわ」
 二階から姿を現したロックを割れんばかりの拍手でみんなが迎えた。それに応えるように手を振って、礼をしたが、ロックにはそれが自分に送られているものだとは感じられなかった。だが、悪い気はしなかった。飾られている作品は新旧取り混ぜてだが、どれもロックにとってはかなり出来がいいと思われるものばかりだった。
 最初の個展は成功した。そして、ロックはさらに多くの仕事を受けることになった。
 ソニアがロック自身を売るために、あらゆる有名デザイナーやミュージシャンとのコラボレーションの企画をたてたため、ロック自身の作品を作る時間はほとんど無かった。有名人と一緒に仕事をするのは面白いし、貴重な体験だったがしばらくするとそれはただ作業をこなしているようにロックには感じられるようになった。だが、次から次へと来る仕事をこなすのに精一杯でロックには文句を言う暇も無かった。そうして一年が過ぎた。
 
 一年の間にロックがシェリルの待つオラクルに帰るのは一週間に一日ぐらいになっていた。シェリルはいつも温かく迎えてくれたし、弱気なことを言うロックを慰めてくれた。
 オラクルにいる間、ロックは自分のため、シェリルのために絵を描いた。それはああだこうだと注文をつけてくる自尊心のつよいアーティストとの共同作業とは違い、心の休まる時間だった。実際にはロックもかなり文句を言うほうで、その文句がまた、的を得たものでさらに作品を質の高いものにするものだったので相手のアーティストは喜んだ。だが、いちいちそういったことを言うことにロック自身の神経は磨り減っていった。
 一年目はよかった。金も入り、シェリルやライナスにいろいろなものを買ってやることが出来た。ソニアもそれほどにはロックに文句や注文をつけてこなかった。二人は時々は衝突したが、それでも上手くやっていた。
 だが、二年目になるとそのバランスが少し崩れてきた。この頃になるとロックの活動はアメリカ中に広がり、多くの個展や仕事で飛び回る日々が続いた。シェリルと会うこともままならず、二ヶ月間オラクルに行けないときもあった。だが、そうは言ってもロックにとって個展や仕事は面白いものであり、長年の夢が叶ったので全力で精力的に活動していた。
 メディアに出るときは、努力知らずの見た目が派手な社会のメインストリームからドロップアウトした若者でありつつ、言動は今の世の中を鋭くをえぐる人物というのを演じていたが、実際のロックは非常に地味で努力家だった。だから、すぐに現われては消えていくほかのアーティストと違って、きちんとした活動と創作を続けていくことが出来た。
 アメリカ中を飛び回る生活になるとほとんどの時間ソニアがロックのそばにいた。容姿端麗で若く、頭のいいソニアと一緒にいることはロックにとってそれほど居心地の悪いものではなかったが、ソニアが必要以上にロックにまとわりついてくるのが問題だった。メディアはソニアをロックの敏腕マネージャーであり、恋人として扱ったのでロックはシェリルに会うたびに言い訳をしなければいけなくなった。シェリルは別にそんなことは気にしていないわ、とは言っていたものの実際にはソニアとロックは当分離れるわけにはいかないのだろうと感じていた。
 ロックはソニアに性的な魅力を感じてはいなかったので、旅先では部屋を別々にしていた。ソニアはそれが気に入らないらしく、ある晩レストランで突然泣き出した。
「なんで一緒に寝てくれないのよ!」
 ロックはリブステーキを切るのをやめた。黒いマスカラが涙で流れ、ピンク色の頬を伝って綺麗な水色のスパンコールのワンピースの上に落ちた。
「大きな声をだすなよ。他の客が見てる」
 ロックはハンカチを取り出すとソニアに渡そうとした。ソニアはロックの手を払い、ハンカチは受け取らなかった。ロックはやれやれといった感じでハンカチを閉まった。ソニアはさらに涙を流しながら言った。
「他のお客が何よ! 私がいなかったらあなたはこんなとこでなんて一生食事できなかったのよ!」
 ロックは知らぬ顔でステーキを切りつづけた。レストラン中のお客がロックたちを見ていた。個室にすればよかったなとロックは思った。一年以上ソニアと過ごしてきて、彼女が実はものすごく脆い存在であることにロックは気がついた。仕事ではいつも頭の切れる天才マネージャーぶりを発揮するのだが、一人の人間として見た場合、自分の心のバランスをとることが難しく、寂しがり屋で情緒が不安定な少女の姿がそこにあった。自分の中で調子がいいときは鼻歌交じりで物凄い馬力のスーパーカーでも楽に扱えるのだが、いったんそこに何か自分の予想を越えたことが起きるとそこから起き上がるのに多大な力を必要としていた。
 ロックに出会う前は自分の中の問題を乗り越えるのに、自力でがんばってきたらしい。それは周りに頼りになる人がいなかったために自分の力以外で立ち上がる方法が無かったためだった。だが、ロックは彼女が立ち上がるのに協力した。最初の頃のそういったソニアのぐったりとしている姿にロックはああ、こいつでもこんな状態になることがあるんだと思い、彼女を慰めた。ソニアはそういったロックの慰めに力を得て、普段の彼女に戻った。しばらくするとソニアはロックに頼るようになってきた。表立った仕事ではロックはソニアに頼っていたが、精神的な面ではソニアがロックに頼りきっていた。
「夜寝るときに思うのよ。なんで私ここにいるんだろうって。こんな薄暗いホテルの一室で私何をしているんだろうって。私どこにむかっているんだろうって考えちゃうのよ」
 ソニアはおびえる子犬のような目でロックを見ていた。ロックはソニアの目を見ないでブロック状に切ったステーキを口に運んでいた。
「慰めてよ」
 ソニアが言った。
「どうやって?」
 ロックは間抜けな質問だなと思いながら言った。
「抱いてよ」
「その気はない」
「なんでよ」
「そんな気分にならないからさ」
「私、魅力的じゃないの?」
「いや、充分魅力的さ。世の中の男で君と寝たくない奴なんていないだろう」
「じゃあ抱いてよ。シェリルのことが気になっているの? ここからじゃ何千キロも離れたところに彼女はいるのよ。それにあの人より私と一緒にいるほうが時間が長いじゃない」
「そういう問題じゃない」
 ソニアは黙って下を向いたまま唇を噛んでいた。ロックはウエイターを呼ぶと支払いをすませた。
 二人はレストランの外に出ると黙ったままホテルへと向かって歩いた。ホテルへと戻るとソニアがロックの手を握って言った。
「少しだけでいいの、私が眠るまでそばにいてよ」
 ロックはうなずきソニアの部屋へと入った。ソニアはワンピースを脱ぎ、シルクのパジャマに着替えると洗面所で顔を洗った。部屋の中は暗く、間接照明の弱い光だけが室内を照らしていた。ロックは窓から眼下に広がる街を見ていた。
 ソニアは洗面所から戻ると一人では広すぎるベッドの上に静かに横になった。
「ねえ、こっちにきてよ」
 ソニアに言われ、ロックはベッドに腰掛けた。ベッドの上に置かれたロックの腕をソニアは両手で掴んで頬を寄せた。
「ねえ、抱っこしてよ」
「出来ないよ」
「あなたのをわたしにいれてって言ってるんじゃないの。ただ、抱っこしてくれればいいのよ。そうしたらすぐに眠るから」
 ロックはソニアの横に寝そべった。ソニアはロックの体に腕をまわし、胸に顔をつけた。ソニアの綺麗なプラチナブロンドからは心地よい香りがした。ソニアと始めて会った日にもかいだ香りだった。だが、その時とはまるで印象の違う香りだった。
 ロックの胸に顔をうずめるソニアは十歳くらいの少女のように見えた。
「腕、痛くないか?」
 ロックが言った。
「何?」
「俺の体の下にある腕は痛くないか?」
「大丈夫よ。強く抱いて」
 ロックはソニアの体に腕をまわすと静かにとても脆い、薄いガラスで出来た人形を扱うように優しくソニアの体を抱いた。
「ロック」
「ああ?」
「好きよ」
 ロックは何も言わずにソニアを抱きつづけた。しばらくするとソニアは小さな寝息をたてはじめた。ロックは静かにソニアの頭を自分の胸から放すと枕をその下に入れた。ソニアの腕を解き、毛布をかけ、部屋の明かりを消して自分の部屋に帰った。

 そんなことがあったせいか、ロックはオラクルに帰ってシェリルにあってもどうも二人ともギクシャクとして会話が続かなかった。
 ロックは自分に充分な稼ぎが出来るようになったらシェリルと結婚をしようと思っていた。今、金銭的には全く困らない状態にあった。だが、シェリルにプロポーズすることはできなかった。
 それにもう一つのことがロックの頭を悩ませていた。
 だんだんと世の中がロックに望むこととロックがやりたいことにギャップが出てきたのだ。ロックがメディアで発言したり、パフォーマンスしたりする内容と、作風がマッチしていないと言われるようになった。世の中はロックに、より過激な作品を作るように望んだ。ロックも自分の中にあと一体どんなものが隠されているのだろうと思い、実験的に少しわかりすい過激なメッセージを含んだ絵を作った。その絵は有名なロックミュージシャンのアルバムのジャケットに使われ、あっと言う間に絵自体も有名になった。そして、そういった作風の絵の仕事がロックのところに殺到した。
 最初の頃こそロックは面白がってそれらの仕事をこなした。だが、だんだんと派手でわかりやすい作品を作ることに飽きてきた。それでも依頼はなくならず、ロックは同じような作品を少しずつ形を変えて製作していった。それはだんだんとロックにとって苦痛でしかない作業になった。それでもそれらの作品は高い評価を受け、世に受け入れられていった。
「何か悩んでいることでもあるの?」
 部屋の革椅子に座りぼうとしているロックにシェリルが言った。二回ほど同じことを聞かれてロックはやっとシェリルが自分に話しかけていることに気がついた。
「あ? ああ、気がのらないんだ」
「絵を描くことが嫌になったの?」
「いや、ただ、本物の俺と違う俺が勝手に有名になっていくことがつらいな」
「そういうのは有名になる人みんなが思うことなんじゃない?」
「そうかもしれない。だが、辛いことには変わりない」
「無理することはないのよ。あなたは思うが侭に進めばいいのよ」
 シェリルはそう言ったが事態はそんなに単純じゃなかった。ソニアは今まで以上に精力的にロックの売り出しにかかっていた。そして、昔の彼女では考えられないような正確ではないロックの作品の批評をするようになった。そして少しでもロックが文句を言うとぼろぼろと大粒の涙を流して切々と自分がどんなにロックのことを想っているのかを延々と訴えてくるのだった。ロックはうんざりするほどソニアの相手をしてからしぶしぶ作業に取り掛かった。だが、ロックはソニアと別れることは考えられなかった。時折ヒステリックになるソニアではあったが、小動物のように小さな脆い存在であることがロックには魅力だった。ソニアによってロックが学ぶことも多く、互いに必要としている存在だったのだ。
 そんな風にして日々が過ぎていった。
「ロックはママと結婚しないの?」
 ある日、オラクルでライナスがロックに聞いた。ロックがライナスに絵を教えているところだった。そばではシェリルが本を読んでいた。窓からは黄色の初夏の太陽の光が差し込んできていた。
 ライナスの質問にロックはすぐには答えられなかった。ロックが黙っているとシェリルが本をテーブルの上に置き言った。
「コーヒーでも飲む? ライナスはクッキー食べる?」
 ライナスは食べる、と言った。キッチンに行ったシェリルを追うようにロックもキッチンへと向かった。シェリルはコーヒー豆を缶から取り出しているところだった。
「結婚したくないわけじゃないんだ」
 ロックは言った。
「ただ、今はまだ出来ないんだ。もう少ししておちついてからじゃないと……」
「いいのよ、そんなことは」
 シェリルが言った。
「もう少ししたら落ち着けると思うんだ」
 ロックの問いかけに応えずにシェリルはお湯を沸かし始めた。
「だから、もう少し待っていて欲しい」
 シェリルは首を横に振った。
「私のことは気にしないで、あなたは自分のことをがんばって」
 シェリルの目から涙が流れていた。
「どうして泣いているんだ?」
「いいのよ、私のことは気にしないでよ」
「ソニアとのことを気にしているのか? だったらそれは思いこみだって。あいつとはビジネス上での付き合いだけで雑誌で言われているようなことは何もないんだ」
「知っているわ。ソニアのことはいいのよ。あの人とは関係ないことなの」
 シェリルは涙を拭いながら言った。コーヒー豆が入った缶がシェリルの腕に当たり、床に落ちた。コーヒー豆がキッチンの床に散らばった。二人はしゃがみこみ、コーヒー豆を拾い集めた。
「ねえ、ロック」
「ああ?」
「また昔みたいに優しい絵を描いて」
「ああ、約束するよ。また君に絵をプレゼントするよ」
「約束よ」
「ああ。約束だ」
 シェリルがキスをしてきた。ふたりはキッチンにしゃがみこんだまま互いを求め合った。

 シェリルとは約束したものの、その時実際のロックには自由になる時間というものがなかった。一連の過激で分かりやすい作風の流れでおこなう大規模な個展の予定が入っていた。それは一作家の個展と言うよりは一種のイベントになっており、ロックと親交のあるミュージシャンのコンサートやサーカスなども参加する一大イベントとして企画されていた。アイデアはソニアが考え出したもので、彼女はこの企画に全身全霊をささげていた。ロックはうんざりするほど作品を作らなければいけなかった。準備期間は四ヶ月あったのだが、時間は全く足りなかった。ソニアが用意したアトリエ用の倉庫と企画会議が行われる会社の建物以外にロックはどこにも動くことが出来なかった。
 その大規模なイベントは興行的には大成功に終わり、ロックの名前はさらに売れ、作品も売れた。だが、ロック自身は失うものが大きかった。シェリルとは長い間会うことができず、ロック自身の神経は磨り減り疲労していた。シェリルもイベントに誘ったのだが、彼女は来なかった。電話で話すシェリルの態度はだんだんとそっけなく、冷たくなっていくようであった。だが、それも仕方がない、とロックは思った。季節が変わる程の間会えなかったのだ。ある日、ロックが時間の合間をぬってシェリルに電話をすると男が出た。ロックは一瞬間違い電話をかけたのかと思ったが、そんなことはなかった。ロックはかけ間違えたと言って電話を切った。
 イベントが終了し、ロック自身にも時間が出来、体勢を整えることが可能になった。ロックはようやくシェリルとの約束であった自分が本当に描きたいものというのを製作することにした。

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