携帯恋愛小説
『ノーベンバーレイン』
窪璃音/著
第五章
[E006]
長い睫毛をもつ黒い瞳でじっと人のことを見るのだ。
事情を知らない人が見たら不思議な赤ん坊だと思うだろう。
実際にはもう走り回ってもいい年齢なのに、大人にだっこされてあくびをしている小さな体の涼子は本当に赤ん坊にしか見えない。
でも涼子にはそれなりの年齢を感じさせるし、なんだか風格みたいなものすら感じさせているのだ。
おなかには横一文字に切られ縫われた手術の跡があるし、手足も普通の子よりかなり小さいのだが、顔だけはきちんとしたかわいらしさを持っていた。
ぽかんぽかんとした春の日の午後に、ベランダに面した畳部屋で涼子を抱っこしていると、僕は何とも言えない平和な空気を感じることができた。
涼子はすうすうと小さな寝息を立てているし、柔らかい太陽の光が庭の桜の木を照らしていた。
桜はもうしばらくすると一斉に開花して、庭に桃色の絨毯を作る。
その頃の僕はまだ小学生だったから、自分の周りの世界以外にはほとんど興味がなかった。
もちろん世界のどこかでは今も戦争が起こっていたり、飢餓で死ぬ子供達がいたり、病気で苦しんでいる人々が存在しているということは知っていたけれど、涼しげな顔で寝る涼子を抱きかかえている時にそんなことに頭を働かせることはできなかった。
むろん、そんな状態の時に世界について憂えても何ができるのかという感じではあるのだが、改めて考えると、確かにあの春の日はいちいち確認する必要もない幸福な状態ではあるが、そこにはその状態をひどく危なげにバランスを保っている何かしらかのしっかりとした力の存在があったのだということに気がつく。
無意識にであれ、意識的にであれ、いろいろな物の力によって支えられていたのだ。
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